稽留流産手術後2日目
12月29日(木)
基礎体温:36.91
動くとお腹は少し痛い気もするけど、結構元気。
旦那は午前だけ出勤。
出血も止まりかかってるし、と思って普通に片づけで歩いたりしていると、出血が増えてきました。
生理1~2日目くらいな感じ。
止まりかけてただけに不安だったので、それ以降、とりあえず安静にするべき?とこたつでゴロゴロ。
お昼ご飯も夜ご飯も旦那に買ってきてもらって、この日は外出しませんでした。
でも旦那は朝出かけるのが遅かったから仕事終わりも16時前、お昼も16時半、夕飯前に旦那が寝てしまって、起こしても夕飯は23時。
昨日の夕飯も23時前。
私も安静生活だし、旦那は冬休みだし、生活リズムが狂うのは仕方ないんだけれど、流産を機にご飯の時間だけでもまともに戻したい!と思っていた私は、何にも改善できてないや・・・と悲しくなりました。
そして泣いている私を見た旦那は「いつまで泣いてるの?泣いたってどうにもならんやろ?」と冷たい一言。
実際お腹にいたわけでもないし、男には流産の悲しみ・苦しみなんてわからないんだろうな。
「お腹にいただけやけど、我が子が亡くなって1週間も経ってないのに立ち直れなんて、ひどい父親やな!」と言い返してしまいました。
近かったら実家に逃げ込みたいところだけど、遠いからそんなわけにもいかず、頼れるのは旦那しかいない。
入院・手術で迷惑もかけてるし、休日まで仕事に行って疲れてるのはわかるけど・・・と心の中で色々葛藤した1日でした。
稽留流産手術後1日目
12月28日(水)
ずっと寝てばかりだったからか、早くに目が覚める。
いつも通りとまではいかないけれど、吐き気はなくなってスッキリ。
こんな状態なら間違いなく帰ろうと思える。
7時前になるとお隣の患者さんに看護師さんが問診にやってきたりして、 もうウトウトもしなくなった。
そして私のところにも看護師さんはやってきて、「吐き気はどうですか?」と調子を聞かれる。
「だいぶすっきりしてよくなりました」と答えると、「朝ごはんをしっかり食べて、何ともなかったら点滴を抜きましょう」と言われました。
その後、トイレへ。
出血はそんなになく、茶色いおりものというか、生理の終わりごろくらい。
8時前に朝食。
ご飯(私には大盛)、味噌汁、焼きししゃも2匹、海苔の佃煮、牛乳、みかん。
お腹も空いていたので、みかん以外は完食。
私にしては食べすぎだけど、気持ち悪くなることもありませんでした。
朝食後も内服服用。
昨日は磨けなかったけど、この日は歯を磨きに行きました。
それから9時過ぎくらいだったか、部屋担当の看護師さんがやってきて、ご飯をどのくらい食べたか、排尿・排便状況、具合などをチェックにやってきました。
「調子いいし帰れそう」と言ったので、午前中に帰るか、お昼を食べてから帰るか聞かれたけれど、早く帰りたいので午前中で帰ることに。
様子だけ聞いて看護師さんは帰っていきました。
その後も帰るのに体を慣らすために横にならずに座ったままいましたが、安静にして寝転んでるべきだったのかな?
10時頃、さっきの看護師さんが退院の説明にやってきました。
体温を測られましたが、37.5℃あったので、もう一度測り直し。
次は37.1℃になったけれど、「平熱は高いの?」と聞かれる。
「平熱はもっと低いけれど、妊娠中からずっと高いままなんです」と答えるも、逆側の脇に入れて測り直し。
36.9℃だったので、今度はOK。
血圧も90/50くらいで「いつもこんなに低い?」と聞かれましたが、基本100前後なので、「もうちょっと高い程度です」と答える。
血圧はそれでスルーしてもらえました。
退院後、仕事は2日後から、入浴は次回診察まではダメ、外出はいいけれど遠出は控える、食事は制限なしとのこと。
次回の診察は1週間後の1月4日。
あとはガーゼが詰まったままじゃないかの確認や、出血量についての質問、部屋代の差額確認など、入院費の支払についての説明があり、最後に点滴を抜いてもらいました。
右手の甲だったので、テープで頑丈に固定されていたので、なかなかテープがはがれなくてそのたびに針が暴れて・・・。
しばらく内出血になるかもしれないと言われました(;_;)
後は支払いと書類に印鑑を押してナースステーションに提出するのみ。
旦那に連絡し、待ってる間に着替え、帰る準備をしました。
お隣の人が消灯とか電気のスイッチを押してくれてたので、チラッと挨拶して病室を後にしました。
旦那がお金を持ってきてくれたので、支払いへ。
全部で33110円
ざっくりな内訳は、
①手術+投薬+入院関係で29510円
②部屋代差額3240円
③食事360円
日帰りで帰れば、①が減るのかはわからないけど、②、③は確実にいらなかっただろうな。
支払証明書と印鑑を押した書類を持って、再び病棟へ。
リストバンドをはずしてもらい、晴れて退院。
次回診察が1月4日だから仕事に行けなくなってしまったので、お休みをお願いするために職場に寄って帰りました。
化粧水すらつけてない顔だから、マスクで隠して(笑)
仕事復帰は1月5日から。
年末年始は思いがけず9連休になってしまいました。
家に帰ったのはまだ12時前だったけど、こたつに潜り込むと昼寝してしまったみたいで・・・。
15時ごろお昼にさとしゃぶを食べに行きました。
そんなに量は食べれなかったけど、美味しくいただきました。
その後は銀行に寄って、夕食も外食。
それ以外はゴロゴロしたりなるべく安静に過ごしました。
掃除は入院中に旦那がやってくれてたし、洗濯も干してくれました。
私は安静については特に言われた気がしないけれど、ネットを見てると絶対安静と言う先生もいるみたい。
なるべく安静にしたほうがいいのかな?
稽留流産手術日
12月27日(火)
基礎体温:36.93
今までほぼ37℃あった体温が、この日から少し下がり出しました。
とうとう手術の日。
当日になってくると、悲しみよりも不安が上回って来ました。
朝は飲食ダメだし、化粧もダメ、コンタクトもどうせ外さないといけないから眼鏡で行くことにしたので、特にすることもないはず。
なのに、結局バタバタと出かけていきました。(仕事より早いし^^;)
持ち物は、生理用品夜用2~3個、生理用ショーツ、印鑑、髪をくくるゴム2本。
術後は喉が渇くとネットで見かけたので、水も持って行きました。
旦那は長期冬休みに入っていたんだけれど、仕事がたまっていたので、とりあえず朝だけ行ってくるとのこと。
途中で病院へ来て、付き添いしてくれるそうです。
正確に覚えてない部分があるけれど、当日の流れを記録しておきたいと思います。
8時半に不妊治療外来の受付へ。
体温測定をし、トイレを済ませるよう言われ、その後は内診室へ。
そこで子宮を開くためのもの?を入れられたけれど、地味に痛くて力を入れないよう言われてしまった。
少し出血するかもしれないからナプキンをつけるように言われ、しばらく待合で待機。
すると、病棟へ連れて行ってくれる看護師さんがやってきて、内容は覚えていないけれど色々質問や説明をされ、9時頃に病室へ案内されました。
そこからは病棟担当の看護師さんに交代。
まずは、患者間違いのないよう腕にリストバンドを巻かれ、血圧測定し(検温もあったかな?)、手術用の服に着替えて、髪は2つにくくっておくよう言われる。
ズボンと下着だけは直前まではいていていいらしい。
化粧をしていないか聞かれ、日焼け止めだけ塗ったことを話すと、(何か忘れたけど)顔に貼ることがあるかもしれないので、それも落としてくださいと言われ、温かいタオルを持ってきてくれました。
暇つぶしも持ってきてないし、ぼけーっと待っていると、また今日でお別れということを思い出し、悲しくなる。
病院なので泣いてはいないけれど。
少しすると、旦那が病室に到着。
手術中必ず連絡がつくようにと言われていたので、助かった。
その後、手に点滴のルートを作るために、寒さで血管が収縮しないよう、バケツに入ったお湯に手をつけて待つよう言われました。
20~30分お湯につけたかな?
10時頃、看護師さんがやってきて、まずは用意してきた生理用品とショーツを預ける。
点滴は、腕(肘より下の外側)か手の甲の血管に針を刺すとのことでしたが、腕に血管なんて見えなくて、手の甲を両手見比べ、右手の甲に針を刺すことに・・・。
退院までつなぎっぱなしだというのに(´;ω;`)
そこからソリューゲンF(ただの電解質)の点滴が始まりました。
「手術は11時頃からなので、10時50分頃移動します。それまでにトイレを済ましておいてください」と言われ、また待機。
言われた通りトイレを済ませ、50分頃看護師さんがやってきて、左の上腕にドルミカムを筋注。(血圧と体温もまた測ったかも。)
痛いとは言われたけれど、予想以上に激痛だった!(>_<)
この筋注で、手術室に着くころにはぼんやりしてくると聞いたけれど、手術室内でほかの麻酔をされるまではぼんやりした気もしなかったと思う。
ストレッチャーでの移動かと思いきや、病室のベッドごと手術室前まで移動。
付き添いの旦那は中へは入れないので、ここで眼鏡を預けてお別れ。
二重扉だったか忘れたけれど、中で別のベッドに乗り換えて、手術台まで運ばれました。
そして自力で手術台へ移動。
平らだけれど普通のべッドではなく、内診室みたいに下半身部分は自由が利く感じでした。
下着を脱がされ、先生がやってきて、足を固定され、消毒しますと言っていたところまでは覚えているけれど、そこからは記憶なし。
明細には、静脈麻酔欄にディプリバン、トスパリールと書かれていたので、麻酔されたのかな?
先生に「終わりましたよ」と言われた気がするのと、病棟へ運ばれたような気はするけれど、あんまり記憶はない。
30分くらいで終わったみたいです。
病室に着くと、胸に心電図と腕に血圧モニターを、鼻に酸素チューブも繋がれ、そこからは寝たのか記憶がなく。
12時半頃、「1時経ったから酸素を外します」と言って外されて少し動いたのか、そこで急にひどい吐き気を感じてえずきましたが、出るものがなく。
看護師さんが器を取りに行っている間、ごみ箱を構えていましたが、そこに吐くことはなかったけれど、それからもお腹のあたりから押し出すような吐き気があり、器には2回吐きました。
と言っても胃液だったのかな?
吐いたのは覚えているけれど、この頃の記憶も曖昧。
その後も、血圧が自動で測られて腕が締め付けられる時や、看護師さんがやってきた時は一瞬目を覚ましたけれど、それ以外はずっと寝たままでした。
14時半頃、「3時間経ったので血圧・心電図のモニターを外します」とのこと。
本当ならここで帰れるはずなのですが、私は吐き気とフラフラで起き上がることができず、「点滴を速めて、麻酔薬が薄まって体外へ出ていけば楽になると思う」と言われ、点滴のスピードアップ。
この時も1回胃酸を吐いたかなぁ。
朝から担当だった看護師さんは15時あがりなようで、15時頃様子を聞きに来てくれましたが、一向に改善の気配はなく。
ここからは次の看護師さんに引き継ぎ。
17時くらいまでは休めると言ってくれて、また点滴のスピードも上げてくれました。
このままふらつきや吐き気がよくならなかったら、1泊入院もできるから、ちょっと考えてみるようにも言われました。
しばらくしたら点滴がなくなったので、2本目に交換。
そして「慣らすためにちょっとベッドを起こしてみましょうか」と45度くらいの角度にベッドを起こすことに。
この時は何も吐かなかったけど、えずいた気もします。
16時半頃、そろそろ17時だし先生も帰ってしまうし、帰るか入院するか結論を出さないといけないとのこと。
吐き気がひどいようなら坐薬の指示も出たらしいけれど、坐薬は抵抗があって拒否。
「試しに少し歩いてみますか?」と聞かれたけれど、あまり動ける気はしない・・・。
でも手術前からずっとトイレに行ってなくて、そろそろ行きたかったし、付き添ってもらってトイレまで行くことに。
立ち上がった瞬間、やっぱりフラフラしたけれど、点滴の支え棒もあるし、なんとか歩くのは歩けました。
フラフラするし、右手も不便だけれど、なんとかトイレを済ませてまたベッドへ。
動いたせいか、また気持ち悪くなってえずいたけれど、とりあえず何も吐きませんでした。
でもその後、ベッドのテーブルに片腕をついて伏せて動けない・・・。
その様子をほかの看護師さんが見て、
「家に帰ってもこんなんやったら困るやろ?ここなら点滴も繋いでおけるし、泊まって元気になってから帰ったほうがいいと思うよ?」
と1泊入院を勧められる。
帰れるなら帰りたかったけれど、帰れる気もしなかったので、安心のためにももう1泊することに。
そして「坐薬も嫌かもしれないけれど、すぐ効くし楽になるよ。少しでも楽になったほうがいいし、そしたらご飯も食べれて、元気になるかもしれないし」と坐薬を勧められ、楽はなりたいし、看護師さんに余計な手間をかけないためにも坐薬を使うことにしました。
坐薬はナウゼリン30。
自分でやるのかと思っていたけれど、看護師さんが入れてくれました。
坐薬なんて幼稚園ぶりくらいかも?
先生に1泊ということで指示を聞きに行ってくれ、病院食の夕食は注文が間に合わなかったけれど、何でも食べていいとのことでした。
10分くらいすると坐薬も効いてきて、吐き気が少しよくなった気がしました。
とりあえず、入院後初めて水を飲んでみる。
この時、だいたい18時くらい。
夕食を食べるなら今かも?と思って旦那に下のコンビニで買ってきてほしいと頼み、パンとヴィターインゼリーを食べました。
パンは5個入りの小さいクリームパンを1個しか食べられなかったけれど、これ以上食べたら吐きそうだったのでやめておきました。
この夕食後から内服開始。
メチルエルゴメトリン3錠
セフジニル3cap
エクセラーゼ3錠
分3毎食後 4日分
このご飯の前か後か忘れたけれど、旦那が入院グッズを取りに帰ってくれました。
とりあえず歯磨きセットと生理用品を頼んだけれど、他にもブランケット、フリース、ハンガー、ウェットティッシュ、お箸、追加の水とポカリを持ってきてくれました。
結局夜は歯も磨けなかったし、生理用品は持参していた分で足りたし、いざとなっても1泊くらいできたのかもしれないけれど、物が揃ってるというだけでも安心なので、付き添いしてくれててよかったと思いました。
精神的にも一人では不安だし。
面会時間は20時まで。
旦那はギリギリまでいてくれるらしい。
19時頃、トイレに行きたくなったので、トイレへ。
自力で行けそうなら勝手に行っていいとのことでしたが、さっきよりはふらつきもありませんでした。
歩いても吐きそうにもならなかった。
さっき気になったけれど替えれなかった生理用品を交換し、ちょっと安心して再びベッドへ。
病院の服も、意識の薄い間に血で汚れてしまったみたいで気になってたんだけれど、これは替えようもないので、そのまま・・・。
恥ずかしいから、あんまりウロウロしたくなかったな(´;ω;`)
ちなみにベッドには、生理用品のシーツ版みたいなのが敷いてあったので、ベッドを汚すことはなくて助かりました。
20時前、旦那が帰ってしまう前に、もう一度トイレへ行っておくことに。
点滴スピードが上がったからか、水分を取り始めたからか、やたらトイレが近くて。
そして20時に旦那とはお別れ。
入院は初めてだから、ちょっと心細かった。
2人部屋だから隣に人はいるんだけれど、2人って逆に気を使うなあ^^;
20時半頃、再びトイレへ。
一人で病室を出たのは初めてだったけど、だいぶよくなったみたい。
21時頃、ウトウトしていたら隣の人が電気を消してくれましたが、勝手に電気が消えるわけではないんですね。
同じく21時頃、夜勤担当の看護師さんが来て3本目の点滴に交換し、トイレが近いことを話すと、ゆっくりスピードにしてくれました。
その後、朝まで持たすために、さらにゆっくりにしに来てました。
段々トイレの間隔はあいて、22時前、1時に行って、そこから7時半くらいまでは行かずに済みました。
夜間、何度か見回りに来てたかな?
熟睡ではないけれど、ゆっくり寝れました。
吐き気も夕食後に若干感じて以降、特に気にならなかったし、寝る時にはもう随分すっきりしていたと思います。
妊娠から流産まで・・・
12月7日(水)、仕事後に病院へ。
次の受診は生理5日後ということになっていましたが、排卵後3週間経っても生理が来ないということで受診しました。
病院では妊娠検査薬で陽性だったかどうかを聞かれ、「はい」と答えると、そこでは妊娠検査薬のような尿検査はなし。
内診で見てもらって、ちゃんと子宮内で妊娠していることがわかりました。
排卵日ハッキリはわからないけれど、遅くみても11月13日(日)。
今は5週目だから心拍はわからないので、また来週来てくださいということになりました。
迎えに来てくれた旦那に話すと、喜んでくれました。
まだ心拍が確認できてないからわからんけど・・・と言いながらも、”妊娠がわかったら読む本”を買いに行ったりして。
次の診察まで1週間が長かったです。
この頃から段々つわりも始まりました。
食べづわりと吐きづわり。
日によっていろいろだけど、たいてい夜になると調子が悪いようで。
そこにテルロンを飲むと吐き気が悪化して、4日ほど夜に吐きました。
でも仕事中はそっちに気がいってるから、たまに気持ち悪さが気になる程度で助かりました。
夜吐いた時の夕食は、インスタントカレー、お好み焼き、餃子、バナナなど。
そんな中、11月に受けた健康診断の結果が。
去年に続き2回目の便潜血検査があったのですが、2回中1回が陽性。
あの検査前くらいから便秘気味だったし、そのせいかも?と思いながらも、要二次検査と書かれているので凹む私。
ネット検索すると、陽性だった場合は大腸内視鏡、でも妊娠中はできないと書かれていたので、今の私にはどうすることもできない。
出産後に検査して癌だったりしたら、悲惨よな~とか思いながらも、この検査は陽性が出ても何ともない人が多いと聞くので、いいほうに考えることに。
とりあえず安定期までは放置かな。
・・・放置と言えば、歯医者。
神経を取るか取らないか、と言ってた歯がありましたが、妊娠判明と同時くらいに急に違和感が強くなり出して・・・。
妊娠したら歯がもろくなるというけれど、そのせい??
せっかく妊娠がわかったのに、前途多難(´;ω;`)
12月14日(水)
6週目の診察日。
内診で見てもらうと心拍が確認されました!
モニターを見せてくれたけれど、正直私にはよくわからなかったんだけれど^^;
でも心拍が確認されたら流産の確率も減ると言うし、ひとまず安心?
葉酸サプリの定期購買をして、葉酸を飲み始めることにしました。
”親への報告は心拍が確認されてから”ということにしていましたが、来週も診察だったので、もう1週間待つことに。
それにしても、いつまで不妊治療の病院で診てくれるんだろう?
やっぱりまだまだ安心はできないってことなのかな?
結婚9年目、35歳。
どちらの親も、今まで全く孫を急かすこともなかったので、どう思っているのかわからないけれど、きっともう諦めているはず。
ぬか喜びはさせたくないので、親にはなかなか言えませんでした。
職場でも、一部の人以外はまだ言えないまま。
心拍が確認されて少し安心したけれど、まだまだ流産する可能性もあるかもしれないとずっと思っていたので・・・。
12月19日(月)
このちょっと前から、夜の吐き気で動けなくて洗濯も干せなくなっていたので、テルロンの服用を夕食後から眠前に変更。(←自己判断)
服用後1時間以内に布団に入れば、気持ち悪いながらも寝られたり、場合によっては吐いたけれど、こたつから動けなくなるのは避けられた。
18日の夜は吐いたけれど、19日は仕事もあったからか、あんまり吐き気が気になりませんでした。
歯の痛みがとても気になっていたので、今のうちに歯医者に行くことに。
妊娠して神経が敏感になっているだけかも?と願っていたけれど、どうやら詰め物が取れて穴が開いていて、神経も治療しないといけない状態らしい・・・。
妊娠中であることを伝え、とりあえず少し削ってゴミを取り除き、進行止めを塗って、詰め物をしてもらって、安定期になったら治療することに。
応急処置してもらったら、とりあえずその時は痛みは感じなくなりました。
でも痛くなるようなら、安定期関係なく早めに治療しないと腫れてくるとのこと。
先生は、100%大丈夫とは言えないけど、この時期に神経を取る治療をしても大丈夫と話していました。
持つなら安定期まで待ったほうがいいけれど、と。
まだ2か月あるけど大丈夫かなぁ?
12月21日(水)
7週目の診察日。
心拍が弱いと言われたらどうしよう、成長がよくないと言われないかな?とか色々思いながら順番を待っていました。
でも私たちの子なら、意外としぶといかも?と思ったり。
内診に呼ばれ、見てもらうとモニターを見せられ、「心臓が動いていないね」とのこと。
段々弱っていくパターンは考えたりしていたけれど、まさか今日そんなことを言われるとは思ってもいなかった。
自然に出てくることもあるけれど、この大きさなら手術で取ったほうがいいし、綺麗に取れたほうが次妊娠しやすいから、と手術を薦められました。
手術日は、翌日の22日(木)か27日(火)。
今年中には手術してしまったほうがいいだろうと。
(今年はもうその日しか無理らしい。)
明日?!と思うと、そんな突然・・・、心の準備も何もないし、仕事もどうしよう、とか色々思ってしまって、返事できませんでした。
その様子を見てか、「27日にしましょう」ということに。
でも日も空くし、それはそれで心配になって、帰り際に「手術までそんなに日があいても大丈夫ですか?」と質問。
「それまでに自然に出てきたらそれでいいし、出血するようならまた連絡してください」とのことで、診察は終了。
その後は、手術のための検査。
血圧測定、採血4本、心電図、体重&身長測定をされました。
それから看護師さんから説明があったり、同意書にサインしたり。
手術は入院扱いだけど日帰りと聞いて、次の日には仕事に行けると思っていた私。
でも基本的に、約1週間後の次の診察までは仕事は休んでもらう、手術後の状態次第で判断は変わるかもしれないけれど、とのことでした。
日帰りだからそんなに大変じゃないのかと思っていたけれど、意外と大変だったりする?と手術に段々不安が・・・。
説明も終わり、仕事帰りに迎えに来てくれた旦那に事情を話し、帰ることに。
検査に回るころからずっと待合で待っていてくれていました。
もちろん、診察の結果を楽しみに来てくれていたんだけれど・・・。
でも病院を出るまでに、「なんで明日にしなかったん?体とか先のことを考えたら早いほうがいいやろ」と怒られて。
私も、やっぱり早いほうがいいんやろうか?という気になってきて、さっき説明してくれた看護師さんにもう一度聞きに戻ることに。
でも、明日というのも急だから手術の都合とかもあるし、火曜日になったんじゃないか?との返答。
先生がなんで火曜日にしたかはわからないけれど、もう27日で同意書にサインもしてるし、そう言われたらもう仕方ないので帰ることにしました。
旦那はまだ納得いかなかったみたいだけれど。
帰りに職場に寄り、流産して手術をするから27日から1週間ほど出勤できないことを伝えに行きました。
上司ともう1人いたけれど、妊娠のことは話していなかったので、2人ともビックリ。
とりあえずさらっと話し、年末の忙しい時期にすいませんと言って帰ってきました。
そこまでは泣くこともなく平常心なつもりでしたが、家に着くと段々冷静に考えられるようになり、急に涙が流れてきました。
とにかく悲しいという感じで・・・。
上司が私が病欠する連絡を他店舗にしたので、妊娠を知っていた2人からはつわりがひどいのかと心配のメール。
事情を話すのは苦痛じゃないけれど、きっと返事に気を使わせてしまうだろうな、と思いながら返信しました。
しばらくしたら涙はおさまったけれど、それからも毎日ふとした瞬間に思い出しては悲しくなって泣いてしまう日々。
仕事があれば、そっちに気が行くからその間は大丈夫なんだけれど。
吐き気はマシになったけれど、まだ続いているから、気晴らしに美味しいものも食べに行けない。
世間は3連休、クリスマスで盛り上がってるのに、今までで一番最悪なクリスマスかもと思いながら過ごしました。
めでたくもないのに年賀状も作らないといけないし・・・。
安静にしていないと自然流産で大量出血するかもしれないけれど、それも怖いし、3連休は買い物とご飯以外家に引きこもっていました。
旦那の親には何も話さないことにしましたが、一応麻酔をかけて手術するんだし、自分の親には話しておいたほうがいいかと思って、電話で話しました。
妊娠のことは話してなかったし、流産自体よりも手術と聞いて心配してる感じだったかな。
いつもは電話でアホみたいな話ばかりだけれど、この時は一切そんな雰囲気がなかった。
喜ぶこともなく心配だけさせることになってしまって申し訳ない。
手術日まではカウントダウンしてしまう日々。
お腹にいるのに心臓が動いていないのか・・・と思うと悲しいけれど、あと〇日でお別れかと思うと、さらに悲しくなってしまう。
すぐに手術するのとどっちがよかったんだろう?
私は妊娠できないかも?と思っていたので、もし流産してもこんなに悲しくなるなんて思ってもいませんでした。
妊娠自体ができなくても仕方がないとは思っていたけれど、せっかくやって来てくれた子が亡くなってしまうのは悲しすぎる。
一度動いていたはずの心臓が止まったというのもショックな話だし・・・。
ゴロゴロしすぎが悪かった?歯医者が悪かった?とか色々思いましたが、染色体異常がほとんどっていうし、深く考えないことに。
前日は絶食絶飲もあるため早めにご飯を食べ、手術に備えて早めに寝ました。
とうとう明日はお別れの日、と思って泣きながら・・・。
妊娠の判明まで
この周期は10月26日(水)から。
生理は5日間で終わり、7日目朝から5日間、クロミッド2錠(朝夕)の服用。
11月11日(金)が受診日でしたが、その前日にもタイミングを取ったため、受診時にちゃんと精子がいたとのこと。
でも排卵は今日か明日くらいなので、どちらかでもう一度タイミングを取ってみてくださいと言われました。
週末は出かける予定があったので、金曜日にもう一度タイミングを取ることにしました。
この11日に、今回もHCG5000単位をお尻に打たれ、13日(日)から10日間ルトラール3錠(毎食後)を服用してくださいとのこと。
22日(土)にルトラールを飲み終わり、また29日(土)くらいに生理が来るかな?と予想。
25日に会社の健康診断があったから、それまでに生理が来てほしかったんだけれど、生理直前なので胸部X線とバリウム検査は念のため断念。
大丈夫と思うのに・・・と思いながらもやめておきましたが、やらなくて大正解だったとは。
29日になっても生理が来ることはなかったけれど、ルトラールも2回目やし今回も7日目とは限らんよな、と思い、もう少し様子を見ることに。
12月になっても生理は来なかったけれど、ネットで私が見た中では、ルトラール服用後12日目に生理が来たという人が一番長かったので、まだわからんし!と言い聞かせる。
その一方で、妊娠の兆候をネット検索してみたりもしたけれど・・・。
12月2日(金)夜~12月5日(月)までは、あらかじめ決まっていた東京旅行。
ルトラールをのんでいなければ、きっともう生理も終わっていたんだろうけれど。
万が一妊娠していたら、車の振動はよくない?ヒールもマズい??とか色々思いながらも、生理が来ても困らないように生理用品をたくさん持って東京へ。
それでもスカートは冷えるしヒールにもなるので、なるべくズボン+スニーカーで過ごすことにしました。
3日(土)は少しだるいなぁと思っていたけれど、深夜に着いて寝不足だからかな?と思い、一日を終える。
でも4日(日)になると、早歩きがしんどい。ちょっと早く歩くだけで動悸、息切れ。
この日だけヒールだったから歩きにくかった?とも思ったけれど、それにしてもしんどすぎ。
この頃から、ちょっと妊娠を疑い始めました。
この4日はルトラール服用後12日目だったけど、結局生理は来なかったし。
5日(月)には妊娠検査薬を買ってみました。
次に受診できるのは7日(水)だから、6日のうちには予約したいし、5日のうちに試さないとと思って。
5日はゆるめに遊び、夜に家へ帰ってこっそり妊娠検査薬を試してみる。
するとやっぱり陽性!
ネガティブな私は凹むのが怖いので、いや、でも子宮外かもしれないし、ちゃんと受診しないとわからないし!と言い聞かせてみる。
でも旦那に陽性だったことを話すと、ちょっと実感が湧いてきてしまって、なかなか寝付けなくなってしまいました。
専門の病院での不妊治療②
歯科通院も終了し、本格的に始まり出した治療。
8月中旬からの周期では、クロミッド2錠を5日間服用しました。
前の病院では毎回5日目からでしたが、今回の病院では5~7日目という感じで、ガチガチに考えなくてもいい感じ。
この周期では、5日目夜からの服用でした。
14日目くらいに、久々に変な出血が少しありましたが、その後は何ともなく排卵が来ました。
休診日の都合で、排卵日直前に受診はできず、タイミングを取るのはだいたいこの日と教えてもらい、次の受診日は多分排卵後だろうとのこと。
予想通り、次の受診時には排卵が終わっていたのですが、体温はまだ上がっていなかったので、その日(20日目)から10日間、ルトラールを服用することになりました。
同時にHCG5000単位の注射もされました。
やっぱり排卵後すぐに体温が上がるのが望ましいのかな?
今回は、36日目に生理が来ました。
排卵予想日から生理まで19日。(ルトラール服用終了後7日目)
ネットで検索すると、ルトラールを服用すると生理が遅れると書いてたし、服用終了後10日後に生理が来ることもあると書かれていたので、妊娠は全く疑わず。
ガッカリせずに済んだけれど、不妊治療に通っているのにこれだけ遅れても妊娠を疑わない私って変??
次の周期(9月中旬~)では、6日目の朝からクロミッドを2錠で服用。
いつも通り(クロミッド2錠服用時)くらいに排卵は来ましたが、休診日の都合か何かはわからないけれど、今回はルトラールもHCG注射もなし。
35日目に生理が来ました。
専門の病院での不妊治療①
去年6月、専門の病院での治療がスタート。
生理8日目頃が初診でした。
転院だったので、この周期はクロミッドの服用はなし。
初診では、まずは旦那と一緒に話を聞き、私は内診とホルモン検査、旦那は精子の検査を受ける。
旦那のほうは30分ほどで結果もわかり、異常なし。
その結果を受けて、私の卵管造影検査受診が決定。
初診の4日後、卵管造影の検査を受けることになりました。
痛いことで有名なので、怯えながら行きましたが、思っていたほど痛くはなく、結果も異常なしで一安心。
抗生剤+胃薬4日分、頓服の坐薬(鎮痛剤)をもらいましたが、坐薬を使うことはありませんでした。
この周期はタイミングだけ見てもらい、クロミッドも服用しなかったのに、生理は35日目に来ました。
次の周期(7月)。
この周期でも抜歯したため、先生は、抗生剤も服用してることだし、この周期も排卵を見るだけにしようということに。
でも23日目になっても、まだまだ排卵が来る気配はなし。
私にとってはいつも通りだけれど、もうこの周期は流してしまって、次の周期はクロミッドを服用しながら治療しようということに。
生理を強制的に起こすために、その夜からプラバノールを10日間服用することになりました。
それと同時に、先日のホルモン検査でプロラクチンが高いことがわかったようで、テルロンの服用も開始。
週1タイプ(多分カバサール?)と毎日タイプ(テルロン)を選ばせてもらえましたが、週1は忘れそうなので毎日を選びました。
その2剤を服用した夜中、寝てても目が覚めるくらいの吐き気に襲われ、この薬の副作用だということを知る。(どっちも夜1回の服用なので、どっちが原因かは不明)
次の日は仕事に行けるのか?と思うほどひどかったけれど、少しずつ慣れてきたのか、4~5日経つと夕食に脂っこい物さえ食べなければ吐き気は襲ってこないようになりました。
この薬の服用直後くらいに、抜歯終了後の経過を見てもらうために、いつもの歯医者へ。
抜歯の経過は順調。
神経処置を保留中の歯は、気にはなるけどそんなに支障はないので、様子見のまま終了し、次は半年後の定期健診ということに。
これで歯医者は一旦卒業し、不妊治療に専念することになりました。
あっちに行ったり、こっちに行ったり、正直しんどかったので、一安心。
この2種類の薬を服用した周期は、強制的に生理を起こしたこともあり、38日で終了。
次の周期(8月中旬~)では、クロミッドを2錠服用することになりました。