稽留流産手術後6日目
1月2日(月)
基礎体温:36.86
出血はまた少し減って生理4日目くらいになったけれど、この日は謎の塊が出た。
手術で取れてなかった何かかな?
この日も、昼も夜も買い出しに出かけて、スーパーのお惣菜やお刺身をいただきました。
特に変わりのない1日だったかな?
妊娠した頃から何かと気になって、色々ネットで検索して、稽留流産について書かれているブログもいっぱい読ませてもらいました。
誰かに読んでほしいとかではないけれど、これまで1か月の出来事は忘れたくないし、記録しておくことで何か役立ったり生かせたりするかもしれないし、私もブログに記録しておこう!と決心。
まずはブログ開設からでしたが、はてなブログが使いやすいみたいだったので(ネットでサラッと調べただけですが^^;)、こちらで作ることに決めました。
明日から、思い出せる限りのことを書いていこうと思います。
稽留流産手術後5日目
1月1日(日・祝)
基礎体温:36.81
出血はやや減って、生理3日目くらい。
着床の頃から悩まされていた便秘が、この日を境になくなりました。
葉酸サプリも再開することに。
鉄(←葉酸サプリに含まれてる)がセフジニルの吸収を阻害するから併用は避けていたのですが、昨日で内服が終わったので。
めでたくもないけれど、お正月。
年賀状も届きましたが、”3人目産まれました”の報告を見ると、やっぱり少し複雑な心境。
でもこの日は初めて泣かずに1日を終えました。
年末に家事をサボりまくったので、この日は朝からシーツやまくらカバー、パジャマなんかを洗って・・・。
お正月から何やってるんだろう私・・・とか思いながらやってました^^;
お昼は昨日買ったおせちを食べ、夕方にはケーキを買いに行きました。
母の誕生日だから、毎年実家で前日にケーキを買って行って食べるんだけどな。
夕食も買い出しして、お正月特番を見ながら家で食べました。
家にいるとお正月感が薄れるけれど、今年はこれでいいのかもと思いました。
めでたく過ごしたくはないけれど、お正月だから美味しいものが食べたい!という複雑な心境でしたけどね^^;
この日見た初夢は最悪でした。
旦那絡みの夢が多かったかな。
初夢関係なく、いい1年になりますように!
稽留流産手術後4日目
12月31日(土)
この日も出血は2~3日目くらい。
体温は36.69。
お昼で、入院時にもらった内服も終了。
病院も休みだし、ちょっと不安。
毎年この日は実家へ帰る日だけれど、退院時に遠出は控えるよう言われたので、今年はこっちでお正月を過ごすことに。
出血が多い時に実家も嫌だけれど、それよりも、先生の指示にも従えず、1週間も安静にできないなんて、いなくなった赤ちゃんに申し訳なくて、帰る気にはなれませんでした。
それに、いつもと同じお正月を迎えるのもなんか嫌だったし。
とりあえず年賀状を一気に印刷し、ひとこと書いて、お昼前に郵便局へ。
お昼か夜に年越しそばを食べたかったので、お昼はお蕎麦を食べに行きました。
悪い年は流してしまって、来年はいい1年になるよう祈りながら。
午後は何したか覚えてないけれど、お昼寝でもしたかな?
夕食は、もうどのお店もやっていないので、買い出し。
おせちセットが半額になっていたので、翌日のお昼用に買いました。
この日の夕飯も一緒にお買い物し、家で食べました。
ごみ回収、1週間もないのに、ごみが増えていく・・・。
この家で年越しって初めてだから不思議な感じ。
ちょっと寝るのが遅くなったけれど、これで今年も終わりました。
12月は妊娠がわかって、そこから流産して手術して、激動の1か月でした。
後半がひどすぎて、いい一年だったとはとても思えない・・・。
来年はこれを塗り替えるような1年になってほしいな!
稽留流産手術後3日目
12月30日(金)
この日からは、旦那はもう仕事に行かないとのこと。
基礎体温は36.75。
出血は昨日に引き続き2日目くらいだけれど、昨日は1日安静にしてたし、もう手術3日後だから外食くらい出てもいいかな?と思い始める。
でも掃除とか家事はもうちょい安静で明日くらいからにしようかな?と(笑)
旦那はテレビを見たいらしく、昼食は久々に冷凍焼きめしとカップ麺など。
つわりももうだいぶおさまったと思ってたけれど、これはまだ胃もたれするみたい・・・。
この日はめでたくもないけれど、出すしかないので、渋々年賀状を印刷手前の状態まで仕上げました。
人からくる分にはいいけど、本当は自分からめでたい挨拶はしたくないんだけど(>_<)
年賀ハガキはこの日、旦那が買いに行ってくれました。
この日は外食予定だったので、ちょっとだけまともな時間にお出かけ。
(と言っても21時くらい・・;)
「いつまでもメソメソするなと言うなら、ちょっとくらい生活改善に協力してほしい。何にも進んでると思える材料がなかったら、前にも進めない。」と言って、ご飯の時間をもう1~2時間ほど前にずらしたいとお願いしたので。
久々に外に出ました。
外食予定だったけれど、その前にスーパーに立ち寄ると、お正月に向けての立派なお刺身やお寿司が半額になってました。
それを見てしまったからには、これを家で食べようということに。
妊娠がわかって以来、初めての生魚。
東京でもお造りは我慢して食べなかったので久しぶりです♪
お寿司にお刺身って偏ってる気もするけれど、久々だしいいや!ってことで。
贅沢な夕食になりました。
稽留流産手術後2日目
12月29日(木)
基礎体温:36.91
動くとお腹は少し痛い気もするけど、結構元気。
旦那は午前だけ出勤。
出血も止まりかかってるし、と思って普通に片づけで歩いたりしていると、出血が増えてきました。
生理1~2日目くらいな感じ。
止まりかけてただけに不安だったので、それ以降、とりあえず安静にするべき?とこたつでゴロゴロ。
お昼ご飯も夜ご飯も旦那に買ってきてもらって、この日は外出しませんでした。
でも旦那は朝出かけるのが遅かったから仕事終わりも16時前、お昼も16時半、夕飯前に旦那が寝てしまって、起こしても夕飯は23時。
昨日の夕飯も23時前。
私も安静生活だし、旦那は冬休みだし、生活リズムが狂うのは仕方ないんだけれど、流産を機にご飯の時間だけでもまともに戻したい!と思っていた私は、何にも改善できてないや・・・と悲しくなりました。
そして泣いている私を見た旦那は「いつまで泣いてるの?泣いたってどうにもならんやろ?」と冷たい一言。
実際お腹にいたわけでもないし、男には流産の悲しみ・苦しみなんてわからないんだろうな。
「お腹にいただけやけど、我が子が亡くなって1週間も経ってないのに立ち直れなんて、ひどい父親やな!」と言い返してしまいました。
近かったら実家に逃げ込みたいところだけど、遠いからそんなわけにもいかず、頼れるのは旦那しかいない。
入院・手術で迷惑もかけてるし、休日まで仕事に行って疲れてるのはわかるけど・・・と心の中で色々葛藤した1日でした。
稽留流産手術後1日目
12月28日(水)
ずっと寝てばかりだったからか、早くに目が覚める。
いつも通りとまではいかないけれど、吐き気はなくなってスッキリ。
こんな状態なら間違いなく帰ろうと思える。
7時前になるとお隣の患者さんに看護師さんが問診にやってきたりして、 もうウトウトもしなくなった。
そして私のところにも看護師さんはやってきて、「吐き気はどうですか?」と調子を聞かれる。
「だいぶすっきりしてよくなりました」と答えると、「朝ごはんをしっかり食べて、何ともなかったら点滴を抜きましょう」と言われました。
その後、トイレへ。
出血はそんなになく、茶色いおりものというか、生理の終わりごろくらい。
8時前に朝食。
ご飯(私には大盛)、味噌汁、焼きししゃも2匹、海苔の佃煮、牛乳、みかん。
お腹も空いていたので、みかん以外は完食。
私にしては食べすぎだけど、気持ち悪くなることもありませんでした。
朝食後も内服服用。
昨日は磨けなかったけど、この日は歯を磨きに行きました。
それから9時過ぎくらいだったか、部屋担当の看護師さんがやってきて、ご飯をどのくらい食べたか、排尿・排便状況、具合などをチェックにやってきました。
「調子いいし帰れそう」と言ったので、午前中に帰るか、お昼を食べてから帰るか聞かれたけれど、早く帰りたいので午前中で帰ることに。
様子だけ聞いて看護師さんは帰っていきました。
その後も帰るのに体を慣らすために横にならずに座ったままいましたが、安静にして寝転んでるべきだったのかな?
10時頃、さっきの看護師さんが退院の説明にやってきました。
体温を測られましたが、37.5℃あったので、もう一度測り直し。
次は37.1℃になったけれど、「平熱は高いの?」と聞かれる。
「平熱はもっと低いけれど、妊娠中からずっと高いままなんです」と答えるも、逆側の脇に入れて測り直し。
36.9℃だったので、今度はOK。
血圧も90/50くらいで「いつもこんなに低い?」と聞かれましたが、基本100前後なので、「もうちょっと高い程度です」と答える。
血圧はそれでスルーしてもらえました。
退院後、仕事は2日後から、入浴は次回診察まではダメ、外出はいいけれど遠出は控える、食事は制限なしとのこと。
次回の診察は1週間後の1月4日。
あとはガーゼが詰まったままじゃないかの確認や、出血量についての質問、部屋代の差額確認など、入院費の支払についての説明があり、最後に点滴を抜いてもらいました。
右手の甲だったので、テープで頑丈に固定されていたので、なかなかテープがはがれなくてそのたびに針が暴れて・・・。
しばらく内出血になるかもしれないと言われました(;_;)
後は支払いと書類に印鑑を押してナースステーションに提出するのみ。
旦那に連絡し、待ってる間に着替え、帰る準備をしました。
お隣の人が消灯とか電気のスイッチを押してくれてたので、チラッと挨拶して病室を後にしました。
旦那がお金を持ってきてくれたので、支払いへ。
全部で33110円
ざっくりな内訳は、
①手術+投薬+入院関係で29510円
②部屋代差額3240円
③食事360円
日帰りで帰れば、①が減るのかはわからないけど、②、③は確実にいらなかっただろうな。
支払証明書と印鑑を押した書類を持って、再び病棟へ。
リストバンドをはずしてもらい、晴れて退院。
次回診察が1月4日だから仕事に行けなくなってしまったので、お休みをお願いするために職場に寄って帰りました。
化粧水すらつけてない顔だから、マスクで隠して(笑)
仕事復帰は1月5日から。
年末年始は思いがけず9連休になってしまいました。
家に帰ったのはまだ12時前だったけど、こたつに潜り込むと昼寝してしまったみたいで・・・。
15時ごろお昼にさとしゃぶを食べに行きました。
そんなに量は食べれなかったけど、美味しくいただきました。
その後は銀行に寄って、夕食も外食。
それ以外はゴロゴロしたりなるべく安静に過ごしました。
掃除は入院中に旦那がやってくれてたし、洗濯も干してくれました。
私は安静については特に言われた気がしないけれど、ネットを見てると絶対安静と言う先生もいるみたい。
なるべく安静にしたほうがいいのかな?
稽留流産手術日
12月27日(火)
基礎体温:36.93
今までほぼ37℃あった体温が、この日から少し下がり出しました。
とうとう手術の日。
当日になってくると、悲しみよりも不安が上回って来ました。
朝は飲食ダメだし、化粧もダメ、コンタクトもどうせ外さないといけないから眼鏡で行くことにしたので、特にすることもないはず。
なのに、結局バタバタと出かけていきました。(仕事より早いし^^;)
持ち物は、生理用品夜用2~3個、生理用ショーツ、印鑑、髪をくくるゴム2本。
術後は喉が渇くとネットで見かけたので、水も持って行きました。
旦那は長期冬休みに入っていたんだけれど、仕事がたまっていたので、とりあえず朝だけ行ってくるとのこと。
途中で病院へ来て、付き添いしてくれるそうです。
正確に覚えてない部分があるけれど、当日の流れを記録しておきたいと思います。
8時半に不妊治療外来の受付へ。
体温測定をし、トイレを済ませるよう言われ、その後は内診室へ。
そこで子宮を開くためのもの?を入れられたけれど、地味に痛くて力を入れないよう言われてしまった。
少し出血するかもしれないからナプキンをつけるように言われ、しばらく待合で待機。
すると、病棟へ連れて行ってくれる看護師さんがやってきて、内容は覚えていないけれど色々質問や説明をされ、9時頃に病室へ案内されました。
そこからは病棟担当の看護師さんに交代。
まずは、患者間違いのないよう腕にリストバンドを巻かれ、血圧測定し(検温もあったかな?)、手術用の服に着替えて、髪は2つにくくっておくよう言われる。
ズボンと下着だけは直前まではいていていいらしい。
化粧をしていないか聞かれ、日焼け止めだけ塗ったことを話すと、(何か忘れたけど)顔に貼ることがあるかもしれないので、それも落としてくださいと言われ、温かいタオルを持ってきてくれました。
暇つぶしも持ってきてないし、ぼけーっと待っていると、また今日でお別れということを思い出し、悲しくなる。
病院なので泣いてはいないけれど。
少しすると、旦那が病室に到着。
手術中必ず連絡がつくようにと言われていたので、助かった。
その後、手に点滴のルートを作るために、寒さで血管が収縮しないよう、バケツに入ったお湯に手をつけて待つよう言われました。
20~30分お湯につけたかな?
10時頃、看護師さんがやってきて、まずは用意してきた生理用品とショーツを預ける。
点滴は、腕(肘より下の外側)か手の甲の血管に針を刺すとのことでしたが、腕に血管なんて見えなくて、手の甲を両手見比べ、右手の甲に針を刺すことに・・・。
退院までつなぎっぱなしだというのに(´;ω;`)
そこからソリューゲンF(ただの電解質)の点滴が始まりました。
「手術は11時頃からなので、10時50分頃移動します。それまでにトイレを済ましておいてください」と言われ、また待機。
言われた通りトイレを済ませ、50分頃看護師さんがやってきて、左の上腕にドルミカムを筋注。(血圧と体温もまた測ったかも。)
痛いとは言われたけれど、予想以上に激痛だった!(>_<)
この筋注で、手術室に着くころにはぼんやりしてくると聞いたけれど、手術室内でほかの麻酔をされるまではぼんやりした気もしなかったと思う。
ストレッチャーでの移動かと思いきや、病室のベッドごと手術室前まで移動。
付き添いの旦那は中へは入れないので、ここで眼鏡を預けてお別れ。
二重扉だったか忘れたけれど、中で別のベッドに乗り換えて、手術台まで運ばれました。
そして自力で手術台へ移動。
平らだけれど普通のべッドではなく、内診室みたいに下半身部分は自由が利く感じでした。
下着を脱がされ、先生がやってきて、足を固定され、消毒しますと言っていたところまでは覚えているけれど、そこからは記憶なし。
明細には、静脈麻酔欄にディプリバン、トスパリールと書かれていたので、麻酔されたのかな?
先生に「終わりましたよ」と言われた気がするのと、病棟へ運ばれたような気はするけれど、あんまり記憶はない。
30分くらいで終わったみたいです。
病室に着くと、胸に心電図と腕に血圧モニターを、鼻に酸素チューブも繋がれ、そこからは寝たのか記憶がなく。
12時半頃、「1時経ったから酸素を外します」と言って外されて少し動いたのか、そこで急にひどい吐き気を感じてえずきましたが、出るものがなく。
看護師さんが器を取りに行っている間、ごみ箱を構えていましたが、そこに吐くことはなかったけれど、それからもお腹のあたりから押し出すような吐き気があり、器には2回吐きました。
と言っても胃液だったのかな?
吐いたのは覚えているけれど、この頃の記憶も曖昧。
その後も、血圧が自動で測られて腕が締め付けられる時や、看護師さんがやってきた時は一瞬目を覚ましたけれど、それ以外はずっと寝たままでした。
14時半頃、「3時間経ったので血圧・心電図のモニターを外します」とのこと。
本当ならここで帰れるはずなのですが、私は吐き気とフラフラで起き上がることができず、「点滴を速めて、麻酔薬が薄まって体外へ出ていけば楽になると思う」と言われ、点滴のスピードアップ。
この時も1回胃酸を吐いたかなぁ。
朝から担当だった看護師さんは15時あがりなようで、15時頃様子を聞きに来てくれましたが、一向に改善の気配はなく。
ここからは次の看護師さんに引き継ぎ。
17時くらいまでは休めると言ってくれて、また点滴のスピードも上げてくれました。
このままふらつきや吐き気がよくならなかったら、1泊入院もできるから、ちょっと考えてみるようにも言われました。
しばらくしたら点滴がなくなったので、2本目に交換。
そして「慣らすためにちょっとベッドを起こしてみましょうか」と45度くらいの角度にベッドを起こすことに。
この時は何も吐かなかったけど、えずいた気もします。
16時半頃、そろそろ17時だし先生も帰ってしまうし、帰るか入院するか結論を出さないといけないとのこと。
吐き気がひどいようなら坐薬の指示も出たらしいけれど、坐薬は抵抗があって拒否。
「試しに少し歩いてみますか?」と聞かれたけれど、あまり動ける気はしない・・・。
でも手術前からずっとトイレに行ってなくて、そろそろ行きたかったし、付き添ってもらってトイレまで行くことに。
立ち上がった瞬間、やっぱりフラフラしたけれど、点滴の支え棒もあるし、なんとか歩くのは歩けました。
フラフラするし、右手も不便だけれど、なんとかトイレを済ませてまたベッドへ。
動いたせいか、また気持ち悪くなってえずいたけれど、とりあえず何も吐きませんでした。
でもその後、ベッドのテーブルに片腕をついて伏せて動けない・・・。
その様子をほかの看護師さんが見て、
「家に帰ってもこんなんやったら困るやろ?ここなら点滴も繋いでおけるし、泊まって元気になってから帰ったほうがいいと思うよ?」
と1泊入院を勧められる。
帰れるなら帰りたかったけれど、帰れる気もしなかったので、安心のためにももう1泊することに。
そして「坐薬も嫌かもしれないけれど、すぐ効くし楽になるよ。少しでも楽になったほうがいいし、そしたらご飯も食べれて、元気になるかもしれないし」と坐薬を勧められ、楽はなりたいし、看護師さんに余計な手間をかけないためにも坐薬を使うことにしました。
坐薬はナウゼリン30。
自分でやるのかと思っていたけれど、看護師さんが入れてくれました。
坐薬なんて幼稚園ぶりくらいかも?
先生に1泊ということで指示を聞きに行ってくれ、病院食の夕食は注文が間に合わなかったけれど、何でも食べていいとのことでした。
10分くらいすると坐薬も効いてきて、吐き気が少しよくなった気がしました。
とりあえず、入院後初めて水を飲んでみる。
この時、だいたい18時くらい。
夕食を食べるなら今かも?と思って旦那に下のコンビニで買ってきてほしいと頼み、パンとヴィターインゼリーを食べました。
パンは5個入りの小さいクリームパンを1個しか食べられなかったけれど、これ以上食べたら吐きそうだったのでやめておきました。
この夕食後から内服開始。
メチルエルゴメトリン3錠
セフジニル3cap
エクセラーゼ3錠
分3毎食後 4日分
このご飯の前か後か忘れたけれど、旦那が入院グッズを取りに帰ってくれました。
とりあえず歯磨きセットと生理用品を頼んだけれど、他にもブランケット、フリース、ハンガー、ウェットティッシュ、お箸、追加の水とポカリを持ってきてくれました。
結局夜は歯も磨けなかったし、生理用品は持参していた分で足りたし、いざとなっても1泊くらいできたのかもしれないけれど、物が揃ってるというだけでも安心なので、付き添いしてくれててよかったと思いました。
精神的にも一人では不安だし。
面会時間は20時まで。
旦那はギリギリまでいてくれるらしい。
19時頃、トイレに行きたくなったので、トイレへ。
自力で行けそうなら勝手に行っていいとのことでしたが、さっきよりはふらつきもありませんでした。
歩いても吐きそうにもならなかった。
さっき気になったけれど替えれなかった生理用品を交換し、ちょっと安心して再びベッドへ。
病院の服も、意識の薄い間に血で汚れてしまったみたいで気になってたんだけれど、これは替えようもないので、そのまま・・・。
恥ずかしいから、あんまりウロウロしたくなかったな(´;ω;`)
ちなみにベッドには、生理用品のシーツ版みたいなのが敷いてあったので、ベッドを汚すことはなくて助かりました。
20時前、旦那が帰ってしまう前に、もう一度トイレへ行っておくことに。
点滴スピードが上がったからか、水分を取り始めたからか、やたらトイレが近くて。
そして20時に旦那とはお別れ。
入院は初めてだから、ちょっと心細かった。
2人部屋だから隣に人はいるんだけれど、2人って逆に気を使うなあ^^;
20時半頃、再びトイレへ。
一人で病室を出たのは初めてだったけど、だいぶよくなったみたい。
21時頃、ウトウトしていたら隣の人が電気を消してくれましたが、勝手に電気が消えるわけではないんですね。
同じく21時頃、夜勤担当の看護師さんが来て3本目の点滴に交換し、トイレが近いことを話すと、ゆっくりスピードにしてくれました。
その後、朝まで持たすために、さらにゆっくりにしに来てました。
段々トイレの間隔はあいて、22時前、1時に行って、そこから7時半くらいまでは行かずに済みました。
夜間、何度か見回りに来てたかな?
熟睡ではないけれど、ゆっくり寝れました。
吐き気も夕食後に若干感じて以降、特に気にならなかったし、寝る時にはもう随分すっきりしていたと思います。